握れないけど。つまめる右手
おめでとうございます。昨年は沢山の方達に励まされ無事新年を迎える事に感謝いたします。今年もよろしくお願いします。
テレビ番組では華やかな放映ばかり、なんとなくリモコンを切り替えると、第二次世界大戦の記録放送。この戦争ではユダヤ人大量虐殺など世界中で何百万人が傷つき犠牲になり尊い命が奪われました。その中の一人に私も居ます。昭和20年3月10日東京大空襲で体に大火傷を。3月19日は三歳の誕生日を迎える日でした。その時の記憶は母親の背中で、手の届く様な高さを飛行機がゆっくり飛んでいる姿と、おおきい建物の窓から大勢の人達の叫んでいる姿が今でも鮮明に浮かび上がります。
他にも沢山ありますが、多分母親が話してくれた記憶だと思います。70年が過ぎ不自由になった体と共に一般の方には体験できない70年の体験を少しずつ思いだし浮かんできた記憶を投稿させていただきます。
今の右手は60年前に整形手術を12回して復元した今の右手があります。
今は時々不便を感じるぐらいです。
この右手を見て毎年大晦日の夜湯船につかり今年も頑張ったね、ありがとうと感謝して来年もよろしくねと。過ぎゆく出来事を思い浮かべています。新年なので写真は控えさせていただきま。近いうちにトコロボ達や他の製品の製作風景など紹介したいと思います、二本の指しか機能しませんが、一生懸命左手がカバーしてガンバっています。これからも皆さまに喜ばれます商品をお届できるように頑張ります。
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